時の話題 「行った年来た年」
本紙はきょうが仕事始め。休みボケした頭で小欄を書き始めたが〝コロナ曇り〟の新年に期すことは唯一つ。コロナが終息し以前の営みが出来るようになる事である。
午前中、商工会議所に行き達専務と歓談する中、話題はどうしたってコロナが中心になる。見えぬ狼藉者に2人して何やかやと怒りの感情を露にするのだが、何せ相手は見えぬウイルスであり暖簾に腕押しの感が並々以上にあり、結局は一日でも早い終息を望むしかないのがもどかしい。
昨年3月以降の中止になった事業や会合・会議は商工会議所だけでも50、60を数え、これに市や他の団体、そして民間イベントなど加えると1000とはいかぬも突拍子無いと言えぬほど、ことごとく中止に追い込まれてしまった。
とどのつまり人の動きはぷっつり途絶えてしまったわけである。
何の行事、会合も無いのだから記憶に留まる事は皆無に等しく無味乾燥なものとなりコロナ一色に染められてしまった。
行った年は前述の通りだが、来た年は一体全体どうなるのか。
コロナの新規感染者が昨年暮れに1000人台に乗り拡大が一向に収まらない東京はじめ神奈川、埼玉、千葉の4都県に7日にも昨年4月7日以来2度目の非常事態宣言が発出されるよし。感染の著しい拡大に成す術無しといった感あるも政府としてはやらざるを得ず、何時トンネル先の明かりを見る事ができるのか。
今年の初稿もコロナで始まったが、現況を見渡せば致し方ないところか。今年もお付き合い戴きますかな。