時の話題 「疑心生むコロナ」
確かに「小康」と表現するには不相応なコロナの感染現況だが、最悪な状況を脱し収まっているのではとする趣旨の「小康」という意味では嘘を書いているとは言えまい。
都道府県をまたぐ移動自粛が解除されるという事はコロナ禍の最悪事態は脱したということであろうが、市中感染者がいない稚内などにあって道外ナンバーや旭川以外の道内ナンバーの車両を散見することは気持ちの良いものではない。
移動もそうだが、夜だって軽い気持ちで飲みに行く日常には程遠く、他人の目を気にしながら盃をかわすという疑心暗鬼の状況にあるといえよう。
スポーツだってコロナ禍の前のよう例えば体をぶつけ合う激しい練習など出来ず飛沫を飛ばさないよう絶叫型は自粛しなければならず訳の分からぬソーシャルディスタンス(社会的距離)が幅を効かし淑女のようなしなやかさを求める。
僧侶の説教にもマスク着用が努力付けられるとあっては結構を通り越し滑稽の感さえしてくる。
人に接することの多いサービス業など仕事に携わっている人にとっては過度と言えどマスクをし飛沫を飛ばさず人との距離を確保することは現下にあって当然のことであるが、予防徹底の埒外にある仕事や心持ちの人とは異にするので社会にギャップが生まれてしまっている。
社会に不安と不信感を広げる新型コロナ。これまでの人の営みを全否定するような災禍に対し改めて認識しなければならないのは、他人の所行への批判は程々に自らの道を歩むという事でないのか。