時の話題 「阪神大震災」

 その瞬間は映画のワンシーンのようであった。阪神・淡路大震災で高速道路が倒壊した光景を見た時の戦慄が頭から離れない。
 あの日から25年たった。義母の1周忌に出席する予定だった姪の夫の実家が神戸にあり地震で被災したため法事には行けませんとの連絡があったので筆者と妻にとっても忘れられない日である。
 光陰矢の如しと言うが月日の経つのは速く年と共に加速するかのようである。その加速する月日の流れの中にあって25年間は地震に関係なかった我々でさえ色々な事があった。増してや被災した人達にとっては慟哭の月日であっただろう。
 亡くなった人6400人余り。家を無くし家族を亡くし仕事が無くなっても残された人間は生きていかなければならない。断末魔の苦しみをずっと抱え生を得てきただろうと思うだけでも胸が引き裂かれそうだ。
 その後、我々日本人は9年前の2011年3月11日には東日本大震災を経験し、あの大津波によってマチが泥水のような海水にのまれ河川を逆流し内陸部にまで上って行こうとする〝悪の化身〟のような津波に襲われた。行方不明者含めた死者は2万人にも達した。
 この数年はゲリラ大雨に見舞われ河川が氾濫し山が崩れ家が倒壊するなどして甚大な被害を被り続けている。
 稚内は幸い大地震など自然災害は極めて少ないが、海に面し何時大津波に襲われるか分かりゃしない。避難場所は確保されているのか、食料品備蓄は、そして市民のケア態勢は大丈夫なのか。
 被災後の節目に当たり怠りなくしたい。

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