時の話題 「中曽根氏の功罪」

 「不沈空母」発言し物議を醸した中曽根康博元総理が101歳という往生の素懐を遂げた。国鉄、専売公社、電々公社の民営化を成就し、米国のレーガン大統領との〝ロン・ヤス関係〟は日米の蜜月が際立った時期でもあった。
 若い頃から頭髪が薄く見るからに秀才然としていた方で、戦前は海軍将校として軍役し政界に身を投じたものの、当時の田中角栄など海千山千の剛者の中で日和見主義的な〝風見鶏〟で政界を浮遊し「三・角・大・福・中」という政権争いの中〝田中曽根内閣〟とやゆされながらも戦後5番目になる5年もの長期政権となり、前段の国鉄の民営化など達成した功績は大きい。
 国鉄民営化の際は一人も首を切ることはないと言いながら当時あった国労出身者を差別し、雇用せず稚内でも闘争団のその後の労苦は皆さん御存知の通りである。
 中曽根さんはその後、小泉総理に衆院選比例区への立候補を高齢ゆえに絶たれ議員でなくなっても日本のため、そして憲法改正の指南役として老体に鞭打ってきた波乱に富んだ100年の人生を終えたのだった。
 国鉄民営化をせねば雪だるま式に借金が膨らむ一方だった国鉄の先が無かったのは事実だが、北海道、四国、九州については民営化し立ち行く筈がなく読み違えたのは確かだ。国労闘争団との対立を生んだ改革でどれほどの国鉄職員が前途を絶たれたものか。
 30年も経つと人の記憶も薄れ何事もなかったように感じるが、本人と家族の短くなかった労苦の人生には同情を禁じ得ない。

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