時の話題 「とりとめなくて」
一昨日までは小欄のテーマは決まっていたのだが、昨日午前中、書こうとペンを執るとテーマを失念していまい、今回このような書き出しになってしまった訳である。
元々大して頭が良い方ではないので若い頃から忘れることが多かったのは確かだが、50代後半からの忘却というよりは健忘がより一層進行し、とりわけ名前が直ぐ出てこないことが多くなった。
備忘録を認めるほど小まめな性格ならいいのだろうが、ずぼらで後回しにする質だから始末が悪い。その上に昔の記録など顧みず記憶に頼るので厄介この上ない。忘れてしまうのだから記憶もあったものでない。
ここまで書いてきても当初予定していたテーマが思いつかない。年を取るというのは恐いことだ。
朝日新聞に週1回(隔週かな?)掲載されている瀬戸内寂聴さんの身辺記では頻りに「年なのだから間もなく亡くなってしまう」などとの事を書いているが、30歳も違うというのに人の健忘ぶりを書く自分というのは何物なのだろうとの羞恥の念にかられる。
昨日のことだが司法書士をしている同級生の所に寄ると忙中閑ありの様子で筆者の話をいつになく聞いてくれる。室内に籠る仕事のため偶に浦島太郎的な話をするが、難関を突破し開業しているだけに社会良識には一言持ち、意固地な筆者と肌合いが合うようだ。
取留めなく書いてきたのでそろそろ記憶を呼び覚ますことが出来るかなとの淡い願いも硬直した脳細胞には無理なようである。
来週には思い出すだろう。呑気なもんだ。