時の話題 「稚内にも鰊群来」

 筆者が生まれた昭和29年、忽然と北の海から消えたニシン。数年前から石狩沖、留萌沖と北上してきており、先日は礼文、そして清浜でもオスの精子で海面が濁る群来の現象が見られた。
 稚内では筆者の歳の分、実に65年ぶりのことである。
 ニシンは昔、日本海側一帯で獲れ、とりわけ北海道日本海側は今、観光施設として現存するニシン御殿に名残りがあり、稚内や利尻、礼文でも網元が○○漁場と自分の名前を当てた漁場を形成し、その一起こし権利を売却したのは北原ミレイの「石狩挽歌」を作詞したなかにし礼の小説に書かれている。
 ニシンは昔、どれほど日本海の漁師ばかりでなく北海道の経済を潤したかしれず、そのニシンが蘇ろうかという群来現象に関係者は小躍りしている。
 10年以上前から稚魚の放流をしてきた地道な努力が功を奏したもので、ニシン漁は今、御殿を建てるほどのものでなくても懐古趣味もあって漁業関係者を躍動させるきっかけとはなるだろう。
 ホッケもスケソだけでなく魚の浜値がとみに高止まりする中、ニシンは安い方で今後、漁が上伸し家庭の食卓の主役としても期待されよう。
 将来を見据えた養殖や放流事業は今後の北海道の漁業にとって欠かせず、今回の宗谷管内でのニシン群来は立証した形となった。
 実はニシン群来は昨年から稚内でも見られ声問沖では今年、これまで3回ほどあったと漁業者から電話があったが、漁価安く卵を数の子にするのも手間暇かかるので収入減にならないと話していた。

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