時の話題 「敦賀元市長」

 稚内市長を2期8年間務めた敦賀一夫さんが満103歳の天寿を全うし亡くなった。その敦賀さんの功績はある意味のことだが、浜森辰雄氏を選挙で敗ったことであったか。
 社会党道議から出馬し当時の東峰助役を敗り8期32年もの間、市長の座に君臨した浜森さんは〝浜森天皇〟と呼ばれ絶大なる権力を握っていた。全国市長会長など務め早稲田大学出身の森喜朗自民党議員らとの〝早稲田閥〟もあって懸案事項の予算を獲得し市勢を発展させてきた浜森氏だったが、多選批判は市民の間にあるも3期目で共産党候補が対抗馬になって以降、無投票当選を続けてきた。
 日本電信電話公社(現NTT)出身の敦賀氏は道議選に2回挑むも敗れ、多選批判がくすぶり続けていた市長選に志ある別の人物を立てようとしたが宙に浮いてしまい自らが出馬することになった。選挙活動最初のうちはドンキホーテ扱いされ泡沫候補としか見られなかった。
 ところが日が経つにつれ人気はうなぎ登りになり、NHKが誤報を出すほどの接戦を制し当選した。
 市長就任以後、硬直化していた市政と職員人事に風穴を開けたのは評価され、2期目は佐藤克市議、渡辺郁夫商工会議所専務理事の2人が対抗し立候補したものの、危なげなく当選した。
 一期目は兎も角、二期目は佐藤、渡辺候補を応援した市職員への粛清があったのは承知のとおりである。
 という訳で敦賀さんの功績は先ずもって市政を転換したことだが誠実な人柄を持って市政に邁進したのは紛れもない事実であった。

ニュース

次の記事

天北堆