撤去されたまま 声問地区にある松浦武四郎ゆかりの地看板 「復元してほしい」との声

 昨年秋の暴風で看板が壊れ、今は柱だけが残った状態にある声問地区の北海道の名付け親である探検家・松浦武四郎のゆかりの地が人々に忘れ去られようとしており、以前、観光客を良く案内していたというタクシードライバーは「松浦武四郎を市内で唯一、知る場所なのに看板がないのは残念。復元してほしい」と訴えている。
 国道238号沿いの声問神社入口にあるゆかりの地は、松浦が声問を調査した際に宿泊した場所で、松浦の足跡に触れることができるよう20年近く前に「宗谷サロベツ松浦武四郎の会」の会員によって看板が建てられたが、昨年11月下旬の30メートル以上の暴風で看板が壊れ、その後、危険を伴うため稚内市が撤去した。
 歴史に詳しい人によると、幕末から明治にかけ探険家として活躍した松浦は、蝦夷地(現北海道)を6回に亘り探査し、声問には1846年(弘化3年)、1856年(安政3年)、1858年(安政5年)の3回訪れ、アイヌの人たちの協力を受けながら声問川を遡るなどし、周辺地域の詳細な地図を残している。
 道外などから訪れた旅行者に稚内の歴史を知ってもらうため声問の松浦武四郎宿営の地を案内していたというタクシードライバーは「稚内には歴史上、貢献された人物が2人おり、世界地図に名を残した間宮林蔵と北海道の名付け親松浦武四郎で、稚内市内で目に見えるものとして松浦武四郎を知る唯一の看板がなくなり残念な思いをしている」と話していた。

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