時の話題 「また一人」
筆者の同級生で写真家の斉藤マサヨシさん(本名・正良)から小社の記者を通し、戦後の小紙草創期にプレス紙に勤め、その後NHK記者として活躍した清水匡平さんが9月1日に亡くなっていたことが分かった。享年92歳だった。
筆者が40数年前、プレスに入社した頃にはNHK稚内支局長を務め、当時在籍していた社員の許へマージャンに誘う電話があったのをよく覚えている。
清水さん逝去の話は稚内支局長を務め後にモスクワ支局長まで栄進した那須さん(名前は失念)を通し交流のある斉藤さんが聞いたもので、那須さんは今函館で暮らし天文同好会なるNPO法人を立ち上げNHK退職後の老後を楽しんでいるやに聞いた。
話を清水さんに戻し彼をある意味、有名にしたのは1991年(平成3年)の全国最長の9期めざした浜森辰雄市長と敦賀一夫氏との市長選での大チョンボだった。投開票日の午後8時43分、「浜森当確」との判断をし選対事務所で勝利の万歳を全国放送したことだった。
浜森選対担当の筆者はじめ誰もが浜森氏の当選を信じて疑わなかったが、開票所になった市体育館に臨場すれば票の山が五分五分だったので当確を打つことはなかったと悔やんだことであろう。樺太在留邦人の一時帰国事業に力を尽くし樺太出身者のよりどころとなったのは周知のとおりであり、稚内をこよなく愛していた人であった。
樺太引揚者の小社創立者前田彰氏は同じ境遇にあったからこそ社員として清水さんを迎え入れたのであろう。