時の話題 「太平洋戦争⑵」
この戦争で民間人含め310万人もの日本人が亡くなったそうだが、昭和2年生まれの父、同5年の母とも戦禍の犠牲とならず然して筆者はじめ3人の子どもが生まれた。
筆者が生まれた昭和29年は前年まであれだけ豊漁だったニシンが忽然と姿を消し、それまでニシン漁を生業にしてきた漁業者は底曳き網漁に転換するなどして富を再び成し稚内は暫く繁栄した。
銃後とはいえ母はよく戦中・戦後の買い出しに今の天塩中川まで出掛けたことを成人になった私に聞かせた。稚内から中川には車でも1時間近くかかるので娘時代の若かりし頃とはいえ、どんなに難行だったことか。
空襲を受けることなく命を落とす人は無かったようだが、終戦間際の8月8日、日本との中立条約を破棄し南樺太に進攻したソ連の蛮行によって樺太から稚内、そして他の地に逃れた人々の苦行は察して余りある。
幼少時代の大鵬家族の話を聞くにつけ、ヤルタ会談の密約でソ連軍が参戦したとはいえ許せるものでない。米国も一枚噛んでおり許せるものでない。
この戦争を体験した日本国民誰しも「戦争は絶対してはいけない」と口を揃えるが、その後の米ソ冷戦、米中対立で分かるよう軍備拡大に余念がない。いつか核戦争が起き映画「猿の惑星」のような世界を現出するなら未だしも地球自体が破壊されるのでは―と危惧している。
ボタン一つでの核戦争。米国、中国などのトップに自制を促すのは勿論、地球滅亡は何があっても避けなければならない。よまい言ではない。