時の話題 「サハリン航路」
サハリン航路の今年運航が難しくなった。宗谷海峡が比較的穏やかな9月までの運航とすると、手続きの事もあり休止せざるを得ないというのが稚内市の第三セクター「北海道サハリン航路」(HSL社長は川野副市長)の見解のようだ。
戦前、稚内と大泊(現コルサコフ)間であった稚泊航路の復活というよりはサハリンプロジェクトでの人の往来を見越したサハリン航路は1999年(平成11年度)の試験運航を経て翌2000年から先ずアインス宗谷(東日本海フェリー社)とサハリン7(サスコ社)が相互乗入方式で始めたが05年にサスコ社が運航を止め06年からはアインスだけの運航となった。15年に東日本海フェリーが撤退し、15年~昨年18年まではHSLとサスコで共同運航してきたが、今年の運航は現時点でかなり厳しくなったといえよう。
ハートランドフェリーと名前が変わったフェリー社の撤退は止むを得なかろうが、あのペンギン号では波高い宗谷海峡を渡るのはリスクが高く、代替船ないのであれば今年の休止も致し方なかろう。
一旦休止したのを再開するのは難しいと言われるが、稚内市、サハリン州政府双方とも運航を望んでおりロシア(サハリン)と一衣帯水にある稚内市にとって大袈裟な表現をすれば生命線と言っても過言でなく、サ州側にとっても昨年の急きょ運航が物語るよう欠かせない航路だ。
平和条約が締結されない日ロ双方にとっても稚内サハリン航路の継続運航は条約締結交渉の橋頭堡的な役割を担うことになるやも知れない。