国境標石の歴史を語る 相原さん ミュージアムトーク

 元北海道新聞社編集委員の相原秀起さんによるミュージアムトーク「樺太国境線と国境の物語」が18日、稚内樺太記念館で開かれ、かつて日本とロシアを分断していた4つの標石を中心に歴史などについて語った。
 国境標石研究の第一人者である相原さんを招いたミュージアムトークには、市民ら20人が参加した。
 30年前、道新の4代目支局長としてユジノサハリンスクに赴任していた相原さんは、北緯50度線の延長約133㌔を結ぶ国境線や標石などについて語った。
 1906年から翌年にかけて4つの標石のほか中間標石、木製標柱などが国境線に造られたが、戦後、標石は取り除かれて散り散りになり、現存するもので2号標石は根室、4号標石に関してはロシアの個人が所有しているとし、標石が国境観光のシンボルとして賑わいを見せていたことにも触れていた。
 標石のレプリカは、関連がある稚内樺太記念館をはじめ小樽、旭川の護国神社、明治神宮外苑などにもあり、樺太記念館にある4号標石のレプリカを前に歴史を語った相原さんは、国境標石の持つ意味について「日本領南樺太の象徴と戦争の悲劇、日ロ両国の歴史的な文化財である」などと話していた。