震災から14年経ち故郷思う 中澤さん わっぴーで24日と31日放送

友人からの手紙を読み返す中澤さん

気仙沼市を訪問した時の写真など


 東日本大震災発生から11日で14年経ち宮城県人会の中澤和一会長(77)は幼少期からの古い付き合いで交流する友人からの手紙などを読み返し「故郷で逞しく生きる友人達を誇りに思う。これからも稚内の宮城県人会として力になりたい」と故郷への思いを強くし、地震が発生した午後2時46分に犠牲者に黙祷を捧げた。
 死者、行方不明者含め2万2000人以上が犠牲となった東日本大震災の発生後、津波で船が流されたワカメやアワビなどの漁師への船支援として、元底引き漁船員の中澤さんは稚内や猿払、利尻など漁師仲間に声をかけ気仙沼市などに32隻の小型漁船を提供。船を送った漁師からの返礼の手紙には「海の男の心意気が、三陸の浜にしっかりと伝わりました」などと書かれ、今でも互いに近況報告し交流を続けている。
 2年に1回のペースで気仙沼市などを訪れているという中澤さんだが、昨年秋にも帰郷し、小中の同級生が企画した歓迎食事会に出席し昔話をし震災の事を話した。復興した街並みに「大きな橋が出来たり、気仙沼は20年以上もカツオの水揚げが日本一で、漁業の復興を感じ嬉しい限りです」と語っていた。
 毎週月曜日午前10時からFMわっぴーの番組「和一のなつかしき昭和から明日へ」を担当する中澤さんは今月24日と31日には震災の事を取り上げる。24日は漁船の支援船の事などを伝え、31日は気仙沼市で暮らし3年前に亡くなった兄の震災の経験談などを語る。
 震災から14年が経ったことに、中澤さんは「故郷の友人らは逞しく生きている。私は稚内に住んでいますが、互いの街が良くなるよう頑張っていきたい」と話していた。