時の話題 「日魯の撤退」
戦後間もなく恵比須2でカニ缶製造を始めた日魯が9月いっぱいで操業を止め11月にも閉鎖することが決まり記者発表された。
今はマルハニチロ宗谷工場という正式名称だが、昔は日魯漁業稚内事業所として100人近い地方からの女工さんがおり、その宿舎が2棟あった。
広い敷地にはグラウンドや大浴場もあり、近くには食料品店や食堂、文房具店が軒を連ね、同地区は日魯さんと共に繁栄した。
加えて道路(現在の道道抜海港線)向いの山側には戦前、戦時中に兵隊と家族が住んでいた兵舎に戦後、一般市民が住むようになり住宅街を形成。ノシャップには米軍基地もあって基地(キャンプ)で働く日本人が多くおり、恵比須、ノシャップの北地区の繁栄を築いていたものだった。
その日魯さんが73年の歴史に終止符を打ち稚内から撤退するというのは昔、地域に住んでいた人には断腸の思いであろう。小中学校時代につい鼻の先にいた筆者にとっても何かを剥ぎ取られるような悔しさと虚しさが交錯している。
日魯さんの撤退は稚内の水産加工業の現在を象徴する出来事であり、今更のことだが憂慮している。
水産加工業者を束ねる稚内地区水産加工業協組(協水)も年内に解散する計画にある。
一時は120以上の業者が加入し、中でも青年部の活動に勢いがあった協水の消滅と日魯の撤退。衰退する一方の業界の現状は淘汰も終息した感あるものの将来的な後継者問題などあり崖っぷちに立たされている。市の業界助成策、どれほどの効果があるものなのか。