時の話題 「〝11日〟に思う」

 2001年(平成13年)9月11日の旅客機が超高層ビルに激突し、その高層ビルが倒壊し灰塵と化す光景は今もって忘れられない。
 日本でも6年6カ月前の平成23年3月11日にあの忌々しい大震災があり、大津波が街を、田畑を飲み尽すがごとく押し寄せた光景も頭から離れない。
 「11日」という日は米国民、日本人にとって忘れられない日である。ぞろ目の表層めでたいような日にちではあるが、そのおどろおどろしさと言ったら悍ましいものがある。
 そうは言っても戦争に比べれば幾分かよく、シリアなど内戦による難民の中に幼気な子供たちの悲しげな目を見る時、胸が痛む。
 ミサイルと核実験を繰り返す北朝鮮とて一般国民の中に餓死寸前の子供たちもいると聞く。次代の宝に惨い事をするなかれ。罰があたろう。
 古今東西、人間はどうして憎しみあうのだろう。自分(筆者のこと)の生き方を振り返れば答は判るでしょ―との声が何処からか聞こえてくるが、子供の頃は心優しい人間であった。仲良くしていた渡辺君(父親は自衛隊員)が稚内から転校して行く時には餞別として大切にしていた物を贈ったこともあった。
 今、父母を送り2人の息子も独立するなか妻ほどではないが孫の健やかな成長を願う自分がいるものの、経営者として社員には鬼の形相をする。
 子供の頃の善い人に戻れば何の怨みを買わないのだろうが、好々爺面した初老の男は何かと一筋縄ではいかない。腹中分からねど物分かりのいい社員に将来への不安を感じる今日此の頃である。

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