時の話題 「寂しさ募る光景」
都会は車の走行音や人が話す音、スピーカーから流れる音など様々な音がし喧騒を呈しているが、稚内など地方都市では車の音はうるさいものの、ほかはひっそり閑として街全体が息を潜めているような感覚がする。
子ども時代を含め以前は先ず港に活気があったし住宅街も広がっていなかったので狭いエリアの中で人の生活があり声が大きく聞こえたものだが、車社会になり歩く人がめっきり少なくなったためか人の声が聞こえてこないし、大声で話している人もいない。
周りに活気があると自分の声が打ち消されてしまうので大きな声になる。そして道で喧嘩している人も全く見られなくなった。
家の中では夫々の事情に合わせ何だかんだと揉め事があるのだろうが、遮音性が上がった家からの怒声は勿論聞こえない。
そして突如として生後間もない赤ん坊の身体を揺する親、はたまたナイフや金属バットで祖父母を刺し殴る孫が現れ大事件なって社会を驚愕させる。
人間の業ゆえの所業と割り切れるレベルを超えている日々の出来事に身構える自分がいる。他人事だと言い切れないのだ。
人口が減り経済に展望を見出せないながら必死に手足をバタバタさせても上向かないなら、せめて未来に希望を見出すよう鼓舞してくれる政治家なり経済界のトップがいればいいのだが、どうもそのような人物は指を折るほど少ない。
衆院選は、知事選は、市長選は―と思いを巡らす時、必要なのは強力なライバルであり、結果がどうあろうと切磋琢磨が肝心だ。