時の話題「下手でも」
米国の大統領選のことを書こうか―などと思案中、「私は頭も悪く字も下手です。でも一言いいたいです」との書き出しの投書があった。カーリング場のことを書き昨日載った「読者コーナー」への投稿である。
思うに勇気を振り絞り送ってくれたものだろうが、その素朴な心持の何の打算もない訴えには心を動かされるものがあった。
国も都道府県も市町村も選挙で選ばれる首長、議員によって運営されているのだが、本当のところは国民・道民・住民の民意によって政治は動かされており、たかが1票されど1票なのである。
前述の「一言いいたい」さんの言葉には嘘偽りを微塵も感ぜず、ただ稚内の将来を憂えてカーリングだけでなく医療のことへの改善も述べており、胸打つものがあった。
長年、同じ仕事をしていると、文章が上手くなるのと比例し、文章の真贋も判別できるようになってくる。真贋というのは、書き手本人の心が出ているかいないかである。
言葉の羅列が文章なのだが、心から出るものと適当な心持での文章には違いが生じる。従って書き手の魂を感じない文章は擬きということになる。
何かを主張する小欄のようなものだけでなく、記事にも実は人となりがあり、歌も他の芸術や仕事なども上辺だけでない何かが他人の胸を打つ。
下手なのは当たり前である。何十年も物を書いている身でさえ拙い心のこもらない文章に恥じ入ることがあるのだから。人間はどこで評価されるか分からない。心こめて精一杯生きて行きましょう。