時の話題 「神社の刻印」

 過日、滋賀県からキャンピングカーで旅行中の梅木さんという方から本紙に電話があり、社殿右前方にある今から40年前の昭和55年に設置された「北門神社の由緒」のステンレス製の碑の中に認めてある文中の最初の「北見圏(宗谷、網走地方)は西蝦夷といって茫々としている山岳と原野が相連なり海浜や海岸に土人が居住し…」の「土人という表現は稚内の総鎮守であり人々の安寧を求める神社として不適切ではないのか」という意見を賜った。
 「土人という表現があれば不適切な表現」と同意した筆者は翌日確かめに行くと確かに「土人」という語句が刻印されてあった。
 土人というのは読者さんが想像するようアイヌの事を指す。
 梅木さんは白老町に民族共生象徴空間〝ウポポイ〟が建設され先住民族としてのアイヌ民族を敬い称えようとする気運が高まる中にあって時代に逆行するものであり適切な語に変えるなど検討すべきだとし、口調は柔らかいながら切り込んできた。
 早速、山本宮司に電話し問い質してみると「土人という表現への忌避は以前から指摘されているが、当時(昭和55年)の主流な考え方はそうであり当時の歴史観を知る上でもそのままにしていた方がいいと考えています」と答えてくれた。
 山本宮司の考えを否定はしないが〝土人〟という表現が差別用語に類するものだというのは論を俟たない。
 その刻印を確かめに行った夕方、筆者の他に2人の方が参拝に訪れていた。総鎮守たる北門神社への人々の信心を垣間見た。

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