時の話題 「例大祭のはずが」

 本来なら明4日の宵宮祭から北門神社例大祭が執り行われ、御輿渡御があり露店街には多くの人出があるはずだったが、コロナによって境内での神事を除き中止になった。
 例大祭といえば100店以上も軒を連ねる露店に代表され、それを一日千秋の思いで待ち望んでいるのは子供たちである。
 筆者もそうだったように子供の時の露店の楽しさは計り知れないもので、我が家の孫たちも親や友達と一緒に後祭りまでの3日間とも出掛けているのにそれでも足りないほどだ。
 子供にとって祭りの露店は何にも代えられないものであり、いわば夢にあふれた空間なのであろう。その夢が無くなるのだから大事だ。
 しかし死んだ子の年を数えるように開催しない行事やイベントの事を悔いていても解決策は見つからない。代わるものなくとも代わるもの見付ければいいのだ。
 平坦な人生はない。平常でないのが生きるということであり、今コロナによって引き起こされている事や思いを心に刻み込み、これからの波瀾万丈の人生を生き抜いて行かなければならない。
 何があっても子供たちには夢があるが、薹が立つ我々はコロナ禍で何を思い行動すればよいのか。今までどおりに行かない人生に呻吟し潰えるのか。はたまた乾坤一擲の気合を入れるのか。人によって様々だろうが、災厄によって培われた負けじ魂で強くなくても健かに生きて行かねばならない。
 コロナ後の社会は。稚内では人口減に拍車がかかるか、はたまた逆の目が出るのか。

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