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 異常な3月から4月は幾らかでも変わるのか。コロナウイルス感染である。
 昨日の小欄で「散々だった弥生」と題し異常尽くめの3月を表現させてもらったが、収束に向うのか。「だった」とは過去の事に相成る訳だが、ウイルス感染は拡大する一方で過去の事ではなく正に現在進行形にある。
 日本国内では道内は未だしも東京は危機的状況にあり中国の武漢ならぬ首都封鎖も有り得る所まで来ている。
 3月から4月に変わることでの変化は学校や企業で別れの季節から出会いの季節に転じ、学校では卒業式から入学式に。でも自粛し開かれる式の在り様に変化はなく、出席者の員数を制限し時間を短縮し催す。門出を祝福する趣旨からは程遠い。
 インフルエンザであれば気温が上がり暖かくなれば終息に向うのだが、新型コロナはそんな柔なウイルスではなく、かなり手強い。
 春だというのに本州の桜は愛でる瞬なく遠目を余儀なくされた。道内はこれから真っ盛りになるはずだが、此方も見物は遠慮気味に行われるか。
 そうこう認めても入進学、人事異動による人の動きは他の月よりは多く、異動がない当方からは「大変なことでお疲れさま」程度の感想しかないが、首都圏に移る人には憐憫の情さえ生まれ、逆に道内に移動して来る人には警戒心さえある。
 事情変われば一様でなくなる。
 連日のようコロナウイルスの事を書くのも芸が無い事とはいえ、何事にものめり込む性癖のある筆者、いや読者の方々にとっても今一番の関心事であろうから善しとしますか。