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 新型コロナウイルス禍が世界を揺るがしてはいるものの、我が町ははや春を迎えた。
 若人が船出する季節が来たわけだが、今年とりわけ注目すべきは北星大学の再出発だ。
 同大存続に、京都の学校法人育英館がこの12月も末になって、やっと応じてくれて市民も愁眉を開いた。
 ただ危惧されるのはこのまま事足れりとする空気が蔓延することである。
 良かった良かったで終わりにするなら、第三者に問題を丸投げする市町村と変わらない。
 俗にいう箱物だけ造って拱手傍観した挙句消えていった「町おこし」が全国にどれほどあったことか。誤解を恐れずに言えば、観光事業は消極的な振興策でしかない。
 天災や良からぬ風評感染の不安などで即、観光客が激減するのは誰でも知る現実だ。
 だが、教育施設は根本的に違う。それ自体が人を高める力を持つからである。
 従って同大の存在をあたかも観光資源と同列に論ずる愚は避けなければならない。
 例えば市議会に於いて経費が限界だから閉学やむなしの声がなかったろうか。そうではないのだ。同大は稚内の将来を支える命綱、コスト論を持ち出す対象ではない。
 人口減がある限度を超えて一定数の顧客が消えれば店舗はおろか数多の企業は立ち行かなくなる。それもある日唐突に。
 周辺人口と経済活動は不可分なのだ。
 翻って行政は、関係者は、とりわけ市民は皆んなの総力戦たるべき認識と覚悟をお持ちだろうか。学生を増やすのは容易ではない。
 何よりも先ず地元高校から大挙して入学してもらうことだ。開学時はそうだった。何故今は激減したのか。責任を問うのではなく、その原因を追究し対応せねばならない。同大学の利点・将来性を啓発し、他管内の学生には諸条件を緩和し、地元勢にはコストや親の心配から脱却できる優位を力説するなど。
 かつて稚内は道北の雄だった。北星大学の再発進はそれへの回帰のための、残された貴重な希望であることを忘れてはならない。