時の話題 「優しさの対価」

 先週から続いた身内の葬儀が終わり息をついている。2年前も母に続いて旭川の叔父も亡くなっているが、今回も日を置かず弟、義理の甥が逝ってしまった。不幸は続くといわれるがその通りで天を仰いでいる。
 人間、何も変化なく体も丈夫に暮らしていければいいが、まずそのような日常はない。若いうちは平凡な事を忌み嫌い「私には夢があるんだ」とばかり勇んで変化求め進もうとするが、途中「夢では食べていけないんだよ」との天の声などあり軌道修正して行く。
 ところが修正するも年を重ねれば重ねるほど何やかやと起きてくる。身内や知人と別れも人生の一こまなのだろう。
 と、小欄を執筆中の15日昼前、最近、市立稚内病院を退院したという90代の女性から「読者コーナーへ」と電話があった。歩いてトイレに行けるようになったのに「用は便器で」「忙しいので呼び出しベル押さないで」などと看護師から言われ、その看護師が数人集まればぺちゃくちゃ喋っており入院中、不快な思いをしたと言う。
 入院できるのは市立病院しかないので仕方なく入院したものの、個人病院で入院できれば市立に行くことはないとも。
 嫌われたものだ。
 入院したことがない筆者には病院の実状など分からないが、偶に札幌や旭川の病院に入院している親戚や知人を見舞うことがあり、その時思うのは言動と目の優しさである。医療に携わる者は〝天使〟のようあらねばならない。その対価としてあるのが高い報酬・給与である。勘違いしないことだ。

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