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 昨日の道新の新北のうた暦に「刀自たち喉仏なき年忘」という作品が載っていた。トウジといえば、つい先日の冬至、酒をつくる杜氏さん、湯治くらいしか知識のない筆者だが、説明書きに刀自とは一家の主婦や年配の女性に敬意を込めて呼ぶ言葉なのだという。
 妻をねぎらう気持ちはあるのだが、だいたいが「お前」呼ばわりしている夫が多いのではないか。筆者もその中の一人で彼女の名前など十数年呼んだことがなく「お前」呼ばわりしている。
 年を取り介護に世話をかけるかもとの打算から最近は「お前」もトーンダウンしているが、底流にある精神は変わらずにある。
 道新の作品に戻り「喉仏なき」というのは年の暮れに年忘れの酒宴を催している時、男性陣は飲み食べ、喉仏を大いに動かし談じ合っているが、その酒席の用意をする女性陣はいつもと変わらずというより、いつもより忙しく立振舞をしている姿を詠んだもので、妻らの労をねぎらっている作者との解説が認めてあった。
 小欄で何故このようなことを書いたかというと、世の男たちが余りにも妻の働きを意に介しないからである。自分は七人の敵に対し社会で苦闘しているのだから妻たちはやって当り前という蔑視まで至らずも「稼いでいるのは俺だ」との傲りがあるからだろう。
 ところが今の世、女性の社会進出めざましく男性を凌ぐほど働いている。
 冬至を過ぎた頃の一句。道新さんの見識に改めて敬意を表すると共に、小紙も読者に影響を与える紙面づくりせねばと思った次第。