時の話題 「相手の身になる」

 本紙などの記事含め言動に対し相手が感じる不快感や嫌悪感は言動している当人には分からないものでタバコの煙は端的な例でないのか。
 30年以上の喫煙歴があった筆者がタバコを止めてから間もなく15年になる。喫煙中は皆目感じなかった紫煙とは今、奮闘中であり、来場者の半数が喫煙者ではないかとみられる遊技場での不快感というのは半端なものでなく隣りで喫ったものなら間髪置かず携行しているマスクをするのだが、隣人は気にする素振りなく平気の平ちゃらで燻らせている。
 自分も15年前以前は同じようなこんこんちきだったんだなァと思うと隣人を許せるものの、できればこれから禁煙措置が発効する所と同じく屋内での禁煙をお願いしたい。
 もう一つ気になるのは横断歩道への運転者の心持だ。横断歩道を渡ろうとしている人を認識したなら車両を停めるのがドライバーとしてのマナーというより大原則だろう。ところが直ぐ停車するドライバーは少なく何台目かで左右の車が停まり横断する事ができる。
 筆者も以前は停まらない運転者の一人だったが、最近、歩くことが多くなり、相手の身になることを教えられ運転者の時は停まるようにしている。
 相手の身にならねば判らぬことはあまたあることで、そうしなかったといえど罪でも何でもない。しかし人間関係を円滑化する上で相手の気持ちを察するということは非常に重要であり、そう努めるのがよろしかろう。
 と言う筆者が相手に気を遣うかというと甚だ?だ。相手を思ったら記事は書けない。

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