時の話題 「再興あるのか」

 60隻以上の沖合底曳き網漁船(沖底船)がいた頃の稚内は、船主船員だけでなく、漁協や仲買人組合、魚を運ぶ運送業、魚を処理する水産加工場、そこに働く従業員、更には漁船に食料品を供給する商店など経済波及は大きく、ひいては市や道国の財政も潤した。
 紅灯街も賑わい、仲通り(中央2~3丁目)は酔客同士の肩が触れ合うほどで、今でいえば東京渋谷のスクランブル交差点のような喧騒(大袈裟かな)を呈していた。船員だった筆者の父親は酒がいけるほうでなかったのに当時、神社下にあった「クラブセブン」のマッチを持っていたことを覚えており、それだけ夜の世界も繁盛したということだ。
 そして何よりも100以上もあった水産加工場で働く女性作業員の収入は家計を支え、彼方此方にあった個人商店を潤し、「まち」と言われた中央地区は高林百貨店(その後廃業)を中心に食料品、日用品、衣料品などの店があり、一口に言えばどの業界も儲けた時代であった。
 資産家だけでなく小金持ちの子供らも地方の中学・高校へと進学し、大学も道内ばかりでなく東京や関西にも進学できるほど親御さんに力があった時代であった。
 その当時に比べると人口は2万3千人以上も減ってしまい、地方からの進出店増加も相俟って稚内としての経済力は右肩下がりとなってしまい民間活力は失われた。元々安定志向の公務員が幅を効かすようでは稚内の将来も知れている。
 朽ち果てて行くのか再興あるのか。市民の暮らし向きが良くなればいいのだが。

コメントを残す