Pocket

 空手道というのは寸前のところで相手に打撃を加えない。テレビや映画の格闘シーンはお構いなしに殴り合うが、武道の奥深さか、相手を完膚なきまでやっつけない。
 本紙など地元紙もそういうところがあり、すんでの所で最後の攻撃は加えない。
 稚内のような地方都市は狭いだけに血縁含め何かとしがらみがあり、市民との距離が近いだけに例えば事件があり逮捕されると「名前を伏せてほしい」など懇願されることがある。基本的にはお断りしているが、ギリギリ許容できる所で一部を受け入れる事がある。
 社会の木鐸として真実を報道するのが務めなのだが、お地蔵さんのよう世の中の目に入ることをそ知らぬ顔で看過することもないことはない。
 この地蔵さん論理と寸止めは違い、ある線まで暴こうとするが、その線より先は矛を納めるというのが寸止めの要諦であり、程々のところで加減するということである。
 市井の暮らす人々には日々生きていかなければならない生活があり「おかしいな」と思っても全てを暴くような事はしない。
 記者の心構えとして社会正義を貫くことは大事なことだが固執してはいけない。重々判っていながら寸止めする。最後まで行っちゃうのも最後の最後で止まるのも心の葛藤ゆえの所業であり、いずれも自己能力は高まる。
 偶に書く禅問答のようになったが、年の暮れになると俄に志向が赴く。ただ寸止めする回数が急激に減っており、それだけ稚内という街の活気が失せているということなのかも知れない。