小社2階の筆者がいる部屋の窓から見えるのは向い側の民家、その奥のアパートと駐車する車両。屋根越しの先の会社の屋上には偶にカモメが見える。2羽いることから番なのだろうか。
 家で休んでいてもテレビの場面以外は行き交う中学生や散歩する人など、自分から見えるものは毎日ほとんど変わらない。
 しかし会社や自宅に訪問客があれば景色が広がり、挙句は「この人は何を考えているのだろうか」と詮索もしたくなる。
 あれこれと考える土台となるのは経験であり本やテレビなどによる知識なのであろう。端的に言えば経験が豊富であったり知識が多ければ何かを決断する時、手助けとなるのは論を俟たない。
 政治でも会社経営でも部下を配しトップに足らない部分を補おうとするが、トップになる人は独善的傾向の人が多いので結局、最後の決め手は自身が持つものがよりどころとなる。
 江戸時代の幕藩体制だろうが明治以降の官僚政治だろうが人間社会の本質は変わるものでなく、有力な西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文、佐藤栄作、田中角栄らが権力を握り、小泉、安倍と系譜は続く。
 稚内とて秀才西岡斌に続く浜森辰雄が32年間も市長を務め、敦賀一夫は別にし横田耕一、工藤廣と系譜は続く。安定というより踏襲的色合いが濃い。
 市民全部が納得する政治遂行には無理があろうが、近付くという謙虚さは必要だろう。「禍福は糾える縄の如し」。幸福と不幸は巡り巡って代る々々我が身にやって来る。