この10年ほどになるか、結婚披露宴は滅多にないのに、葬式に出る機会が多くなり近頃は多い時には週1回あることがある。その中また知人の一人が70歳を越えたばかりというのに他界した。
 古川さんとは筆者の同級生の奥さんが営業していた喫茶店の大家として知り合い互いに気が合ったのでしょう。毎日のように仲通りに繰り出しては「お前とは絶対飲まない」と喧嘩別れするのだが翌日会えば「行くか」の間柄であった。
 北島三郎の「まつり」などカラオケ好きで13年前にクモ膜下出血を患い、生死をさまよう事態にもなったが奥様の献身的な看病もあって言葉は不自由だったものの、回復してきた矢先と思っていただけに、訃報にはまた一つ自分の中にあった何かが剥離したとの思いを強くしている。
 今年だけでもこれまで母ら何人野辺送りしたことか。人として生まれた以上、致し方ないとは思っているが、無情さに打ちのめされることもある。
 光輝く春を迎えたというのに逝ってしまう人たち。知合いでも知合いでなくても今生の暇乞いには本人はもとより家族の無念さはどれほどのものか。
 生きていれば美味しいもの食べれるし、人の愛情にも触れ、時としてちょっとした行き違いから憎悪の念も出てくるのだろうが、悲喜交々味わえるのも命があるからである。
 僧侶の説教ではないが、生きていることに感謝し人を慈しみ、困っている人がいたら施しの真似事なども―とつい5年ほど前までは考えなかったことを願うようになったのは年のせいかも知れない。