あの大津波で親や子供など家族を失ってしまった被災者にとってこの6年は、いや一生涯辛いものがある。残された人達の懊悩は簡単に「辛かったね」と慰めるほど計り知れるものではなく、喪失感から絶望感へと心の変遷もあっただろう。
 しかし助かったからには亡くなった人の分含め生きていかなくてはならず、入学・進学就職、結婚などと人が普通にする事もしていかなくてはならない。
 大人ならまだしも多感な思春期のそれは傍が想像する以上のことであろう。
 そうは言っても被災者、そして原発事故の避難者にも一部の人は容赦がない。福島ナンバーの車が走行していると「放射能が走っている」、避難した子供たちには「放射能が付くので近くに寄るな」「(原発事故の)賠償あるのだろう」などとイジメをし、恐喝し金品を奪うような事件も起きている。
 「東北を、福島を忘れるな」という語りかけも無駄になるような一部の言動は、憐憫の情を大事にしてきた日本人としての矜持も打ち砕いたかのようで嘆かわしい限りである。
 原発事故での避難者は散り散りとなり稚内にも夫を仙台に残した母子が恵北で暮らしていたことがあった。
 東日本大震災、原発事故は日本国民が共に助け合う奇貨としなければならず、除外しようとする精神は日本人には馴染まない。困った人を助ける貧者の一灯ならぬ慈愛の精神がしっくりいく。
 3月11日という日はあの大津波の光景と共に一生忘れられぬ日である。避難の方々含め被災者には前向きに生きて戴きたい。