「宗谷岬」の作曲などで稚内にも縁のあった船村徹さんが84歳で亡くなった。弟子の歌手鳥羽一郎さんの「サロベツ原野」発表会に臨み、その人柄に触れる機会があった筆者にとっても「宗谷岬」を作詞し小社にも10年以上も勤めて戴いた吉田弘さんから色々と話を聞くことがあり、そういうことでは身近な存在だった。
 「王将」(村田英雄)、「別れの一本杉」(春日八郎)、「風雪ながれ旅」(北島三郎)、「兄弟船」(鳥羽一郎」、「矢切の渡し」(細川たかし)、「みだれ髪」(美空ひばり)など作曲した歌は5500曲にも及ぶ大作曲家なのだが、26歳の若さで早世した友人の作詞家のことを忘れず、昨年、文化勲章に輝いた際などでも「作詞7割を後押しするのが3割の作曲」と傲ることはなかった。
 ところで私事で恐縮しますが今月に入り身近でも不幸が続き母のあと旭川に住む叔父も亡くなった。元々は稚内に居たのだが旭川に移り20年ほど経ったという。しょっちゅう墓参りや法事などで稚内に来ていたので、そんなに年数が経過していたとは信じられないほどだったが、筆者の母親とは仲が良かったので黄泉の方でも仲好くするよう願っております。
 父方、母方とも兄弟が多く10人以上の叔父叔母がいたが、これで8人残るだけになってしまった。
 母方の叔父、叔母には特に世話になり1人2人と欠けていくのは寂しい限りだが、人間として生まれた以上、別れが避けられないことはわかっていても血を分けた親戚の死は辛いものがある。