小川 文三氏

小川 文三氏

秋元 正智氏

秋元 正智氏

島岡 喜三郎氏

島岡 喜三郎氏

 秋の叙勲受章者が発表され、稚内から地方自治功労で小川文三さん(70)=恵比須2=に旭日小綬章、警察管理運営功労で秋元正智さん(70)=恵比須1=に旭日双光章、消防功労の島岡喜三郎さん(86)=東浦=に瑞宝単光章が授与される。
 小川さんは「自分が名誉ある叙勲に選ばれたのは家族や多くの人達の支えや応援があったためで長期に亘って議員を続けることができ感謝しています」と受章を喜んでいた。
 昭和39年に稚高卒業後、北海道大学に入学したが、2年生の時に家庭の事情で稚内に戻り自家の農業を手伝ったあと、札幌や東京の民間企業で働いた。
 議員を目指したきっかけは、昭和49年に再び稚内に戻り水産加工業に務めた時に、北海道青年開発会議(後のふるさと青年会議)議員になり任期中に1年間議長に選ばれ、会議の運営に携わったことで、稚内の発展の力になればとの思いで昭和54年に市議に立候補し33歳の若さで初当選。
平成9年まで6期24年間に亘って稚内市勢の発展に寄与してきた。
 24年間の議員生活を振り返った中で一番の思い出は「議長や議会運営委員長など経験することができ、仲間の協力や支援など支えがあったから務められたもので自分の中では一番の宝物です」と話していた。
 秋元さんは稚内の教育委員長だった頃に当時旭川方面公安委員会委員長だった故井須孝誠さんの推薦もあり、教育委員長を退任後、平成14年に公安委員となり、22年から2年間は委員長という重職も担った。
 3期9年間務めた公安委員には守秘義務があり、委員になったことのプレッシャーと家族にも業務について話せないという心労があったが公平かつ公正に仕事をすることをモットーに心掛けました―と振り返る。
 委員長当時、運転免許証を紛失した人が、再取得するのに旭川まで行かなければならなかったことから離島を含む地域住民が不利なことにならないよう稚内でも早く取得できるよう道警など関係機関に働きかけたことが思い出深いという。
 今回の叙勲に秋元さんは「家族には負担をかけましたが、職務を無事に全うできホッとすると同時に叙勲は名誉なことで嬉しいです」と述べていた。
 島岡さんは昭和40年に稚内消防団に入り、稚内地区消防事務組合設立後の昭和48年以降部長、平成6年から9年間分団長を務めた。
 団員として過ごした37年間は、稚内から50㌔もある東浦で火災を起こすまいと防火に重点を置くことを心がけました。
 住民の防火意識の高さにも支えられ住宅の火災はなく、漁師の倉庫からの出火が1、2件ほどあったものの大事には至らなかったという。
 島岡さんは「退団し14年もたった今、消防功労を頂き感謝しています。皆の力添えがなければ37年間務めることは出来ず、先輩団員の指導など色々支えになりました」と喜びを語っていた。