今から33年前の昭和58年9月1日、サハリン西方のモネロン島(海馬島)上空で旧ソ連軍のジェット機によって撃墜されたとされる大韓航空機に乗っていた犠牲者を弔う鎮魂の催しが宗谷岬(会場大岬小)と北防波堤ドームなどで営まれた。
 乗員・乗客269人を乗せた大韓航空機は米国から韓国に飛行中、本来のコースを大きく逸れソ連の領空に入ったとして撃墜されてしまった。稚内から東方のオホーツク海沿岸には機体の残骸や乗客の手荷物などが漂着し、浜森市長陣頭指揮のもと、市や警察、消防など関係機関がそれら漂流物の回収、マスコミや遺族への対応に追われていたのが記憶として残っている。モネロン島海上への遺族の供養をフェリーに乗り取材したのはいいが、その日はシケ模様で、それまで船酔いをしたことがなかったのに現場に到着するまで嘔吐を繰り返したことも苦い思い出としてある。
 あれから毎年のように犠牲者を悼む慰霊祭など稚内やサハリンでも執り行っているが、さすがに30年以上にもなると当時お子さんが犠牲になった親御さんも高齢化し亡くなった方もおり事件の記憶も薄れている中、稚内では平和祈念の日として大人も子供も参加した催しとし、風化するどころかロシアと国境を接する最北の町稚内から「平和」を発信するイベントとして定着し今に至っている。
 長男夫婦を亡くした岡井仁子さん(80)ら高齢の方々がいつまで出席できるか分からないが、親族など縁者の次の世代への働きかけも出てくるか―とは思っている。絶やしてはならない。