稀勢の里関、横綱なるか。大相撲名古屋場所はこの一点だけが白眉であり、ほかは刺身の具程度のことか。
 読者の皆さんが小欄を読む23日夕刻にはもしかしたら優勝の行方も稀勢関の綱取りに関しても決しているやも知れないが、稀勢関の悲願が叶うことを念じ22日午前中、この原稿を書いている。白鵬は右足の親指をケガしているので22日の日馬富士戦で賜盃の行方は見通せそうではある。
 吉と出るのか凶と出るのか。
 母方の祖父が体を揺らしながらTV観戦していた様子を見て育ちガリガリの痩せっぽちの身体なのに「将来は相撲取りに」とまで夢見たほどのファンになり50余年が過ぎた。
 相撲どころでない辛苦の時代があったと振り返るが、どのような年代の時にも大相撲は自分の身近にあり、大鵬の負けない強さ、ウルフ千代の富士の勝負への執念、ケガをしたが武蔵丸を負かした時の貴乃花の鬼の形相等々、忘れられない。
 これまで大関、横綱への昇進を果たせなかった実力者も大勢おり、昇進した力士との違いは何かな―と考える時、力がそう変わらないのに夢を成就できたのは天運によるところが大きかったのではなかろうか。
 薄皮のように実力を蓄え昇っていく横綱への階段。踏み外した力士がごまんといただけに稀勢関が叶わなくても相撲ファンであるなら優しく見守っていかなければと今、改めて思う次第である。
 土俵での力士の戦い出世を通し我々市井の人間が己が人生とダブらせ歓喜し沈思する人生の縮図と化す。
 頑張れ、頑張れ。