今月の三水会のスピーチ講師は稚内市民観光ボランティアガイド会長の中澤和一さん(68)。沖底漁船の漁労長(船頭)などとして35年にも及んだ漁船員としての経験の話もあり、興味深く拝聴させていただいた。
 観光最盛期の観光案内活動は小紙などで紹介されているので筆者も知っているが、昔のニシン定置網漁、沖合底曳網漁などの話には知っていたとはいえ改めて隆盛時に思いを馳せたものだった。
 明治以降、日本海沿岸で続いたニシン定置網漁は「石狩挽歌」の歌詞のよう豊漁続きで稚内でも抜海~富磯まで55カ統もあり、中澤さん提供の漁場写真の中には筆者の先祖の名前も載っており、叔母らから聞いていたとはいえ懐かしく思った。
 今から40年前の旧ソ連の200㌋施行時の昭和52年の稚内港基地の漁船は沖底62隻(現在6隻)、遠洋底曳船(北転船)12隻、ズワイガニ船17隻、マグロ船8隻など114隻にもなり、乗組員は2500人もいたという。
 全国トップクラスの水揚げが続き、連続45日間も休みなしのピストン操業をし、200㌋施行後も違反ギリギリの操業を続けていたという海に生きる男達の漁師魂にも触れた。
 東日本大震災で被災した気仙沼で生まれた中澤さんは故郷のためにと小型漁船を20隻ほど贈るなど支援活動も続けており、民生児童委員、少年補導員会長などボランティアでも知られており、稚内にとって得難い人物の一人である。
 中澤さんを奉仕活動に駆り立てるものは何なのか。人柄なのだろうが、ふと考えてしまった。