読売新聞の「こどもの詩」は子供の素直な心持が表現されており必ず目を通している。28日には「おもいでのしゃしん」と題した静岡県富士市の5歳の保育園児の詩が掲載されていた。
 ほいくえんでね とってもかなしいことがあったの それがおなかのしゃしんになって はりついている でもねたのしいおもいでのしゃしんにかえたんだ 
 この健気さというか成人でも出来ないような心の切り替えには絶句してしまった。
 悲しいことが胸に刻まれていたが、その悲しさを振り払って「たのしいおもいでのしゃしんにかえたんだ」と表現する5歳の女の子の才能というのか、子供の無限なる可能性の一端を見た思いがした。
 筆者には7歳を頭に5歳、3歳と3人の孫がいる。子供だと思って接するのだが3人とも時にして驚くような感性を発露することがあり、ただただ年長というだけの爺の態度や思い込みは慎まなければ―と気付かされる。
 子供たちには誰にも天賦の才があり、その中で傑出した才能の持ち主は神童と呼ばれるのだが、その神童も年を取るにつれ極く平凡な人間になっていってしまう。
 若い時の夢は世の中の荒波と自分の才能の無さに諦めざるを得ず、然して普通に生きることになるが、人生はそれなりに酷なもので容赦なく打ちのめしてくれる。それでも家族が友人が救いの手を差し延べてくれ、家族と友人の有難みを知る。
 知合いの中には夭折した人もおり、いい人が多かった。長く生きる分、恥を晒しているというのが正解か。