広島、長崎へのピカドン(原爆投下)は戦後生まれの筆者にとって物心ついて以降のテレビで空高く舞い上がるキノコ雲で知るだけで、被害に遭った人たちには都度の映像などで憐憫の情を抱くものの、普段の生活では思いを馳せることもなく言ってみれば他人事のようにしてきた。
 米国の現役大統領として初めて広島を訪れたオバマさんの核に対する忌避というのか絶対悪の思いは、彼がコロンビア大学在学中にも何かの論文に寄稿したよう半端なものでなく、その思いは大統領になって直ぐの2009年4月のプラハでの演説が端的に示し、広島や長崎への訪問は大統領になってからも願っていたがその時々の世界情勢などあり実現されず今日に至った。
 政治家というのは演説が先ず命ほど大切にしなければならず、広島でのオバマさんの演説は、原爆が投下された1945年8月6日朝の広島の天気(晴れ)に触れ、その中で何も知らず遊んだり勉強したりしていた子供たちの光景に言及したのには上手さを通り越し彼の精神の崇高性を感じ、「謝罪」だとかが何処かに消え去ったように感じたのは筆者だけだったろうか。
 その幼気な子供たちの様子に思いを寄せる時、目頭には熱いものを感じ、心にない空虚な演説であれば、このような感動もなかったことだろう。
 オバマさんは50代前半であり、大統領を辞めてもカーター元大統領のように人道的な活動をするのだろうか。
 伊勢志摩サミットを機にオバマさんの広島訪問を実現した日米両政府の努力には讃辞を送るものである。