世の中、今や資格流行だ―なんて書くこと自体、遅れているのだろう。販売から技術、看護・介護、保育、理・美容など広範に資格が網羅されており、資格なければ職に就くこともできない。
 1カ月ほど前になるか、稚内港湾施設の役員の1人と話をしている中、同社には船舶機関整備士1級(国交省公認)はじめ鉄骨製造管理技師、電気工事施工管理技師、土木施工管理技師、そして国際溶接技術者、更には陸上部門進出も相俟って1級建築士や構造士の資格を持った社員が10数人おり、会社の堅調な実績に寄与しているのだという。
 周囲を見渡しても資格なしに社会の一員にはいられないことをつくづく感じる資格の時代だ。
 資格があらゆる業種に及ぶ中、最たるものは医師、弁護士、司法書士などなのだろう。政治家や我々記者に資格はないが、国家の根幹となる政治を司り、片や社会の木鐸として批判の刃を向ける。
 政治家は選挙の洗礼を受けるもジャーナリストには資格など露ほども要らないが、世の中に認められるには艱難辛苦がある。筆者などは艱難も持ち合わせず浅はかなことこの上ないが、馬に食べさせてもいいほど長くは勤めている。
 資格というのは「手に職を持つ」と同義であろう。ただ、その修業は並大抵なものでなく、その苦労によって忍耐という人格が形成されるものがあった。
 人格が形成されていないのに資格証だけ胸に下げているだけでは波風も起きよう。資格だけでなく実力も兼ね備えて置かなければならないということだ。