世帯主が亡くなったり人口流出による空き家が稚内でも目立つようになり、本社屋がある中央4、5丁目界隈でもこの10年増えている。そうこうする中、近くで空き家の解体が数棟行われ、中には新しく建築される建物もあり、少しは活気が出てきているのか。
 40年ほど前までは栄2、3丁目の稚高下には家も少なく、潮見5から先も民家は数えるほどだったが、団塊世代が家庭を持つようになった昭和50年代後半になると、栄や萩見はじめ富岡にも住宅生協などによる建売住宅があっという間に増え、食品スーパーなどもでき立派なマチを形成するに至った。
 昭和60年代に入り沖底漁船第2次減船、国鉄民営化によって一大勢力を構築してきた加工場含めた沖底業界、旧国鉄一家の衰退と離合集散により稚内にも大きな危機感が生まれたが、離島観光ブームによる観光産業の成長サハリン州からの大量のカニ輸入、そして最大要因となった公共事業の増大によってマチの経済は維持されてきた。
 質素倹約を美徳とする戦前・戦中の親の教育を受けた団塊世代にけん引される格好で日本最北の都市・稚内は独自の商圏を築き、アベノミクスよりずーっと前に他都市より高い物価を物ともせずやってきたが、地方からの大資本は品物の豊富さと安さによって地元店を駆逐してしまった。
 雇用される人達は正職員でなく安い時間給で働くことを余儀なくされ市民による底上げも失われつつある。
 八方塞りともいえる状況だが、本社近くの建築光景を目にし一陽来復願うばかりです。