集団的自衛権を是認する安全保障(安保)関連12法案が国会によって承認された。国会議員は主権者である国民の代表として粛々と成就したように見えるも、国会議事堂の外では、いや議事堂ばかりでなく全国津々浦々で反対・批判する集会が開かれているという光景を見聞する時、あの参院委員会の乱闘もどきの言論の府ならぬ「言論の腐」の様子には怒りや諦念を通り超え空疎ささえ感じさせるのだから国民の代表は大したものである。
 最初に結論を書くようだが、次回の選挙からは棄権しようという思いに今、駆られてはいる。
 戦後の日本が戦中は敵国であった米国の庇護下にあったのは明白であり、米ソの冷戦時代、冷戦終結後の今もそうである。
 日本の国際貢献に関しては中東の湾岸戦争に派遣された米国軍事船への給油など後方支援に止まっており、最近の中国の台頭などによって米国から実際的貢献を求められているのは承知しているところだが、「集団的自衛権」という非常なる曖昧さがある語句の危うさもあり日本が戦争に向かっているのでは―と危惧するのも分かるものがある。
 世の中、自分の身は自分で守らなければと言われる。従って米国の傘の下にある日本にも自国を守る自衛隊以上の組織の必要性が急がれているが、安倍内閣は集団的自衛権ありきで時期尚早な動きをしたのは否定できないことで、今後の国民との乖離が気になる。
 民主主義が成熟した現代では何事にも丁寧な対応が求められている。やんちゃにしては事をし損じる。