普段、仕事のある日は夕食前に近所を3㌔ほど散歩するのを日課としていて思うことはアスファルトというのは人の歩行のためでなく車の走行のためにあるということだ。皆さんも散歩すると感じるだろうが、アスファルトには歩いていて反動というのかクッションがなく、ただ凸凹がないくらいの効用しかない。その点、舗装していない所を歩く時には地面に適度なクッション感覚があり、例えば舗装面と地面剥き出しの所が混在している所では地面の上を歩くようにし、自分なりに納得している。
 昭和40年代までは稚内市街地の多くが舗装されておらず50年代になり舗装化が格段に進み、折りしも高度経済成長期であり、誰もが道路、水道などインフラ(社会資本)整備に稚内というマチの発展を肌で感じ、家庭にはテレビや冷蔵庫などあるのは当たり前になり経済発展こそが全てを優先するという経済至上主義が蔓延り、その後の趨勢もあるがその経済至上主義は今もそれほど変わるものでない。
 整備されたインフラは老朽化し現在更新の時期を迎えている。形が有るものが朽ちていくのは自然の摂理であり修復や新築するのも大事なことなのだが、話を小欄の冒頭に戻し散歩した際の地面の心地良さは自然が我々人類にその大切さを教えているような気がする。穿ち過ぎかな。
 花鳥風月などどうでもいい派の筆者も最近は自然の有難みも心するようになった。それが良いのか悪いのかは別にし、そのうち土に還るのだから自然を慈しむのは至って自然なことかも知れない。