この10年ほどになるだろうか。結婚披露宴は数年に一度しか出ないのに葬儀は一カ月に何度かあり、先日の通夜で隣り合わせた知り合いと話す中、互いに5月になり3回目の参列と顔を見合わせた。
 以前に比べ葬儀が小規模化し家族葬など増えているとはいえ、故人が生前、何かと交誼があった人に線香を上げてもらいたいとの遺族の心持は変わるものでない。稚内にも斎場が3カ所あり読経や説経を聞いて過ごす時間の苦痛も椅子席のため軽減されているところではあるが、平均し月に数度の参列は冒頭述べたように披露宴とは対極をなす。
 その目出度い披露宴だが、我が家では私達夫婦、息子夫婦とも他人を招いての盛大なものは催しておらず、他人の祝福を受けない分、息子夫婦含めこれまでは円満にやってきたのかと斜に見ているが、多くの皆さんの祝福を受けても受けなくても円満な夫婦はあるし、性格不一致で離婚してしまう夫婦もいる。
 文脈は例によって脱線気味であるが、冠婚葬祭である結婚式や葬儀は社会で生きている以上はできるだけ不義理ないようしたいものであり、とりわけ葬式は故人や遺族に少なからずも関係している以上は弔うのは自然であろう。
 ところで本紙では今週から葬儀広告に故人の遺影を掲載することにしました。以前、網走で見たフリーペーパーに写真が載っており、機会があれば―と思っていたところであり、葬儀社との段取りを進める中、希望があれば掲載させて頂きますので喪主様の御用命お待ち申し上げております。