4年前の3月11日午後2時46分、マグニチュード9という巨大地震が東北地方を襲った。大津波そして原発事故による放射能洩れの悪夢とおぼしき辛苦にも堪え、東北の人たちは生活している。
 他方、行方不明者・死者は2万人近くにも達し家族を失った人々の心情に思いを寄せる時、同じ日本人でありながら傍観者然とした我々は何と慰めの言葉をかけ何をしたらいいのか。
 人の世が無常なのは重々承知しているが、この惨劇に関してはただめそめそ泣いているだけの己の弱さも改めて知ったところであった。
 大津波も放射線も住民を悲劇にしたことでは同格なのだろう。しかし津波に襲われた所はいずれ復興が可能だが、放射能汚染の所の復興は恐らく不可能であろう。
 奇しくも4年前の今頃も市長選や市議選の前哨戦で稚内はかまびすしかったが大地震発生の瞬間から選挙運動に対する自粛ムードが生まれ選挙戦に突入した。
 今年はそのような災厄もないのだから少しは選挙モードにはなるだろうと見ていたが、市長選には対立候補はなく、市議選も1人か2人、下手すると無投票の可能性も否定できない体たらくにある。
 被災後、懸命に生きる被災者の他方、天災もないのにマチの行く末を変える手段となる選挙にも無関心な市民。この両者を語ることに無理があるものの、やるせない気持ちになるのは筆者だけであるまい。
 ところで4年前の大地震発生時、筆者は「港のゆ」にいた。風呂から上がりテレビを見ると、あの大津波が街中を田畑を飲み尽くすように襲っていた。現実のことと理解するのにやや暫く要したことを記憶している。
 織田信長いわく「人間(じんかん)50年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」というものの、無慈悲さは人の骨身にじわじわ堪えて来る。あれから4年過ぎたのか。