陸地を我が物顔で進む大津波の様子をテレビで最初見た時の衝撃はとても忘れることができず、その後の湾内に襲来する津波、その津波に流される工場や民家、車の様子は4年経とうとしていても脳裏から離れない。
 テレビなどでまるで傍観者然として見ていた筆者でさえ忘れられないのだから、実際に被害に遭った方の心情を思う時、切ないものがある。
 その後、福島第1原子力発電所でのメルトダウン(炉心溶融)など巡る対策を見るにつけ、この国の為政者(当時の首相は民主党代表の菅氏)の呆れるほどの馬鹿さ加減には言葉を失うほどだった記憶が蘇える。
 その後、筆者は一昨年の5月GWに稚内ほっけ隊(佐々木政美代表)が呼びかけた被災地訪問で八戸から仙台までを訪れその惨状をまのあたりにし、被災から2年経っても遅々としている復興に憤怒の気持ちさえしたものだが、それから更に2年経ちマチは、人々は―と心配している。
 先日21日、原発事故により故郷を追われた福島県飯舘村の酪農家である長谷川健一さんが稚内に来て今でも続く事態について縷々話していたが、村の放射線量は今だに除染作業しているのにも拘らず余り低下していないという。
 メルトダウンし放出された放射能がまやかし程度の作業で除染されることなどなく、日本政府はここはきっかりと然るべき措置をし、住民に対し手厚い保護をすべきではないのか。
 事故での放射線は周辺市町村、そして1000万人もが住む東京都にも影響を及ぼしており、そのような状況での東京五輪招致は笑止の沙汰である。
 大震災、原発事故から精神面で立ち直るカンフル剤の役目はあるだろうが、そんなことより政府はしっかり現状を捉え被災地、そして住民の復興に心血を注ぐべきでないのか。
 人気取りの政治でなく国民のため誠の心を持った政治をするべきだ。