横浜に本社がある製縫業者の矢部プロカッティングが進出し23年経ったという。浜森市長の時に進出し、20年を超える月日の間には何度か稚内撤退も検討されたが、堅実な業績もあって今では稚内工場は同社にとって欠かせぬ戦力になっているようだ。
 浜森市政の最後には今は社協センター東分館になっている場所にCCWというコンピュータープログラミング会社が当時の稚内北星短大卒業の優秀な学生をプログラマーに雇用することで進出してきたものの、敢えなく数年で撤退してしまい、結局、製造業の同社が派手さはないが堅実な操業を続け今日に至っている。
 同社には1年に1回、仕事の関係から訪れており、昨年まで進出時からの工場の責任者だった松下さんという女性が今年伺うと退社していたが、後任の女性従業員への引継ぎも数年前から行われており、そういうことでは小社との関係は今まで通り維持されてはいる。
 操業が継続されているのは日産300着に及ぶ製造能力であり、工場内を覗かせてもらって感じるのはちょっと大袈裟な表現かも知れないが、一心不乱に取り組む女性従業員の姿であり、この人たちによって工場は支えられているんだな―との思いを強くした。
 仙台に主力工場があるが、3年前の大震災で壊滅的な被害を受け、その以前には人件費の安さからベトナムにも進出し、稚内を含め3工場によって作られる園児服やジャージなどは国内的にも大きな信用を得ており、同社は堅実に業績を伸ばしているようだ。
 稚内にとって残念なのは矢部工場に続く進出企業がこれといってないことであり、逆に卸関係での稚内撤退は顕著であり人口や雇用、ひいては経済力衰退に少なからず影響を及ぼしている。
 「最北の、雪害などある稚内に来る企業などあるわけない」というのが市民の一般論だが、東京直行便など交通も悪くない。進出を願っている。