立志伝中の人物だった井須孝誠さんが18日未明、肺がんで亡くなり、稚内だけでなく道内、国内の各層から逝去を惜しむ声が上がっている。
 49歳という若くして稚内信金理事長に就任した井須さんには稚内プレス社としてもお世話になり、創業者の前田彰の後を継いだ小野雅之の葬儀では葬儀委員長を務めて頂き、褒章か何かの取材の時にも色々と心配して頂き、当社としても浅からぬ縁の人であった。
 少年時代は相当苦労したと聞いており、中学卒業し入った稚内信金ではお茶汲みをしながら精励され、夜は稚高定時制に通うという螢雪の功を重ねられたという。
 筆者とは20歳ほど違い世代が違うこともあるが井須さんのことに関しては人から側聞することが多く、いいにつけ何かにつけ仰ぎ見る人であった。
 18日の「天北堆」でも触れましたが、個人的に印象が強いのは20年以上前になるだろうか、母校の稚高での講演であった。自らの夜学生としての経験、そしてその後の明治大学と記憶しているが通信制で学業に励んだことを話す中、一生懸命やっていけば何時しか大きな果実が実ると、努力の大切さを後輩に説いたことであった。
 人間、地位や名誉を得ると自らの〝負〟の部分には触れたがらないものだが、臆面なく話す様子には己が歩んだ人生への強い自負を窺うことができ、拝聴する生徒たちばかりでなく取材する当方も感銘を受け、その後の人生訓にもさせて頂きました。
 やり手だけに人との軋轢もあったと聞くが、それは些少なことであり、稚内の経済界、そして市政への貢献は群を抜くものがあった。
 稚内信金も稚内商工会議所も井須さん後の増田理事長、中田会頭に受け継がれており、何も心配することはないが、両人とも井須イズムを忘却することなく結果を大事にした経営・運営をして頂きたいものです。
 泉下で見守っていることでありましょう。