社会は衆院選モードに突入し騒がしいし、加えて1年収めの師走を前に慌ただしさもあり気も落ち着かないところがあるが、先日テレビ見ていると人の名前というのは親の願いが込められたものだ|との話を聞き、今は亡き父親が生前「お前(筆者のこと)の名前は良かったんだな」と、お盆の墓参りの車中で言っていたのを想い出した。
 人の名前は不思議に個性を当てており、親が命名した際の気持ちはあるのだが、それ以上に一人歩きし、その人そのものになる。
 私の名前が1字なことから2人の息子には2文字以上と思い、2人とも3文字にした。命名の際存命だった義父に「何かいい名前を」と頼むが、実際は自分の考えと、その時稚内に赴任していた毎日新聞記者の意見を取り入れ命名した。
 そういうことではいい加減さがあり父ほど子供のことを思って命名した節はなく、その時点で父親失格だった。
 それでも呼称する際の響きには留意した。2人ともスポーツをし、それほど悪いことをしなかったのは妻のお陰もあろうが、放任を貫いた結果だと信じている。
 放任というのは親のアドバイスを求めず節目々々の決断を出来るだけ自らがするということで、この私の考え方は小社の社員教育にも活かされてはいる。
 何かをする時、いちいち伺いを立てるのでなく出来るだけ自分で決断するということの大切さを教えたいからである。
 筆者が社長になり1年7カ月経ったが、今後何10年も今の地位に居座る気持ちはなく、将来の稚内プレスのため若手を育てていかなければと思っている。
 脈絡なく話は変わり選挙ということでは衆院選も大事だが矢張り来春の市長、道議、市議選であろう。
 市長選、市部道議選とも現職対抗馬の話は全くなく、市議選は引退する人、新人予定者の話は聞こえて来るが、定数は、立候補数は。無風は止めにしてほしい。