先日、知人に「社長は官庁嫌いだもんね」と何かの話をしている時に言われた。確かに国や道、市に対しては厳しいことを書かせてもらっており「官庁嫌い」というのは言い得て妙である。官庁の皆さん(公務員)には余計な詮索をさせ不徳の致すところと反省頻りである。
 このように普段みんなが心に思っていることを単刀直入に言ってくれるのは報道という職業にある者にとって有難いことであり、正直一本取られたとの気持ちはある。
 一本取るのが商売の身に対し一本取るのだから大した人物であると思う反面、実に正直な人だなとの印象も持った。
 人間というのは社会的な付き合い中で本音を言うことは余りない。ただ密かに「あいつは馬鹿だ間抜けだ」などと思うだけで口には出さない。そういうことでも軽口かも知れないが誠に正直な人であり、それだけ当方に心を寄せているのか―と勘違いも生まれる。
 『嫌い』というのは相手のことをおもんぱかった末の言葉であり、その中味はというと「おまえ官庁の悪口ばかり書いているがいい加減にせい」との心情の発露なのだろうとも思っている。
 ところで本音と建前との使い分けは相当な熟練でなければ難しいものがあり、私のように人生一回りしてしまうと、下手な建前論をぶってもどうにもならないので、然らば何も包み隠さずストレートに物言うが、他人にとっては耳障りであり摩擦を生む。
 一回りしたのだから幾らか大人しくとは考えるも元来がそのような性分でなく、人との確執が深まっていく。
 ただ間違いなく言えることがあり、80年、90年の人生で丁々発止やりあえるのはたかだか60年ほど、いやそれより短いであろう。短い人生なのだから互いの懐に飛び込み議論を戦わせ、盃を交わし、肝胆相照らす時も必要となろう。
 根雪になるのか、気を揉みながら雪景色を眺めて書いております。